山口地方裁判所下関支部 昭和45年(ワ)264号 判決 1974年9月28日
原告
坂井恒雄
原告
河野久馬三
右原告ら訴訟代理人
田川章次
外二一名
被告
下関市
右代表者
井川克巳
被告
松原勤治
被告
八木哲人
右被告ら訴訟代理人
長谷川一郎
外二名
主文
1 被告下関市は、原告坂井恒雄に対し金四万円、同河野久馬三に対し金五万円および右各金員に対する昭和四五年八月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告らの被告松原勤治および同八木哲人に対する各請求ならびに被告下関市に対するその余の請求は、いずれもこれを棄却する。
3 訴訟費用中、原告らと被告下関市との間に生じたものはこれを三分し、その二を原告らの、その余を被告下関市の負担とし、原告らと被告松原勤治および同八木哲人との間に生じたものは全部原告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告ら
1、被告らは各自、原告両名に対し、各々金五〇万円およびそれぞれに対する昭和四五年八月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2、訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告ら
1、原告らのの請求を棄却する。
2、訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決。
第二、原告らの請求原因<後略>
理由
第一当事者の地位
一原告ら
1 原告坂井が明治四一年年四月一五日生まれで、昭和五年三月山口高等商業学校を卒業し、民間会社に勤務した後、昭和二七年五月一日から下商の講師に採用され、同年一〇月から教諭となり、同校商業科の商業簿記、会計、商業実践を担当していたことは当事者間に争いがなく、さらに、<証拠>によれば、同原告が昭和四六年四月一日、同校を退職したことが認められる。
2 原告河野が、明治四二年一一月二九日生れで、昭和六年三月大阪商科大学高等商業部を卒業し、民間会社の勤務、下関女子商業専修学校の教諭を経た後、昭和二六年四月一日付で下商の教諭となり、同校商業科で計算実務を担当していことは当事者間に争いがなく(但し、下商の教諭となつた日は<証拠>によつて認める)、さらに、<証拠>によれば、原告河野が昭和四八年四月一日、同校を退職したことが認められる。
3 原告両名が「組合」(編注、下関商業高等学校教員組合をいう。)に所属していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同組合の昭和四四年度における執行委員は川崎滋彦であり、昭和四五年度における執行委員長は中野丙三であつたことが認められる。
二被告ら
1 被告松原が下関市の公務員として豊浦小学校校長、市教委学校教育課長等を経て、昭和三九年一〇月から市教委教育長に就任したものであること、および教育長は教育委員の中から山口県教育委員会の承認を得て市教委が任命し、市教委の指揮監督の下にその権限に属するすべての事務をつかさどるものであることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同被告は昭和四七年一〇月まで右教育長の職にあつたことが認められる。
2 被告八木が下関市の公務員として、市教指導主事、吉母小学校校長を歴任した後、昭和四三年四月から市教委事務局に入り、学校教育課長を経て、昭和四四年五月から教育次長に就任し、学校教育課長をも兼務するようになつたこと、および同被告が市教委事務局において、教育長に次ぐ地位にあり、市教委の権限に属する事務のうち多くの部分を実質的に取扱つてきたものであることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同被告は、昭和四六年四月まで右教育次長兼学校教育課長の職にあつたことが認められる。
3 市教委が被告下関市の処理する教育に関する事務および地教行法第二三条各号所定の事務を管理し、執行するもので、下関市長が同市議会の同意を得て任命した五名の教育委員によつて構成されていることは当事者間に争いがない。
第二本件以前における退職勧奨の実情
一条例の制定
<証拠>によれば、山口県においては、「職員の退職手当に関する条例」(昭和二九年二月一二日山口県条例第五号)の第四条および第五条において、退職勧奨を受けて退職した者に対する退職手当の割増しをなしうるいわゆる優遇措置を規定しており、これを受けて下関市においては、「下関市立学校教員の給与等に関する条例」(同年三月三〇日条例第九号)において、学校教員の退職手当等は、市立高等学校の教員については、県立高等学校教員の例による(同条例第二条)旨定めていたことが認められる。
二本件以前の退職勧奨
<証拠>によれば、下関市立の高等学校は下商と下関第一高等学校(昭和四五年四月一日県に移管)の二校しかなく、県立高等との交流が少なく、高令化の傾向があつたため、市教委は、教員の新陳代謝をはかり、適正な年令構成を維持することを目的として、前記条例の趣旨に従い、県教育委員会が毎年定める退職勧奨基準年令に準じて勧奨対象者を選定し、退職勧奨を実施してきたこと、昭和四〇年度から四四年度の間の高校教員の勧奨年令は男子五七才、女子五五才であり、原告坂井に対しては昭和四〇年度末から、同河野に対しては昭和四一年度末から毎年勧奨をしてきたが、昭和四三年度末までいずれもこれに応じなかつたこと(昭和四三年度においては退職勧奨の成果があがらなかつたことは当事者間に争いがない)、またこの期間の勧奨の方法、程度は、校長および市教委がそれぞれ二回ないし三回、学校あるいは市教委で被勧奨者に退職を勧め、優遇条件等を交渉する程度であつたこと、および本件以前においては、年度を越えて勧奨が継続されたことはなかつたことが認められる。
三優遇措置の打切通告
<証拠>によれば、原告両名に対し、昭和四二年三月二五日付で市教委から「今後優遇措置を条件とする退職勧奨を一切行なわない。」旨の通知がなされたことが認められる。
第三本件退職勧奨
一勧奨対象者の決定
<証拠>によれば、昭和四五年一月八日、市教委の第一回委員会において、昭和四四年度末の市立高等学校教職員の人事異動方針の一つとして、高年令者に対する退職勧奨の方針が決定され、この方針に基づき、市教委事務局の学校教育課において、下商の退職勧奨対象者の名簿が作成され、教育長であつた被告松原の決裁により、原告坂井(六一才)、同河野(六〇才)、訴外和田勇(五九才)、同田辺政子(五八才)、同逆瀬川康(五七才)、同中林輝男(五七才)の六名の教諭に対し退職を勧奨することが決定され、被告松原から教育次長兼学校教育課長の被告八木に対し、右勧奨の実施方が指示され、これに基づき、昭和四五年二月二三日付書面<証拠判断省略>をもつて、教育長名で下商校長に対し、右六名に対する退職勧奨についての協力要請がなされたことが認められる。
二本件退職勧奨の経過
前記教育長の要請に基づき、下商校長が同年二月二六日から二八日の間に、前記六名の勧奨対象者に対し第一回目の辞職勧奨を行なつたこと、その後、同年三月一二日以降、市教委が直接原告両名および訴外田辺政子に対する退職勧奨をはじめたこと、右勧奨は、原告坂井については別紙第一表の回数第二ないし第七、第九、第一一、第一二、第一六に記載の日時、場所において、その記載の勧奨者からなされ、原告河野については別紙第二表の回数第二ないし第七、第九、第一一、第一二、第一六、第二〇に記載の日時、場所において、その記載の勧奨者からなされたことは当事者間に争いがなく(但し、原告坂井に対する第七、第一六の勧奨時間および第一六の勧奨者岡田、同河野に対する第六、第七、第一六の勧奨者岡田は除く)、右事実に<証拠>を総合すれば、原告両名に対して、大要次のごとき退職勧奨がなされたことが認められる。
1二月二六日
原告両名は、順次校長室に呼ばれ、伊勢木校長より市教委から退職の意思の打診があつた旨伝えられたが、原告らはいずれも退職する意思がない旨を表明し、二分ないし五分間で終つた。そして、右の結果は被告八木に報告された。
2三月一二日
原告両名は、校長を通じて、市教委(市役所)に出頭を求められ出頭したが、勧奨前に原告らに随行した「組合」役員と被告八木の間で交渉が行なわれ、「組合」側から、(1)入試、期末テストなど校務多忙の時であり出頭を命ずるのを差し控えること、(2)立会いを認めることなどの要求がなされたが、同被告は(1)に対し、「採点などは家に持ち帰つてやれるでしようが、なんで忙しかろうと、何度でも来てもらいますよ。」と述べ、(2)に対しても、これを拒否した。
その後、教育長室において(「組合」役員は隣室で待機)、同被告および古谷主査が、原告坂井に対しては一一時四五分から一四時三〇分までの間(但し一二時五分から一三時までは昼食のため中断)、原告河野に対しては一四時一五分から一六時三〇分までの間、それぞれ下商教育の沈滞を防ぎ、教師の年令構成の健全化をはかるなどの理由を述べて原告らに退職を勧奨したが、原告らは、いずれもまだ健康で働く意思があること、やめなければならない法的根拠がないこと、経済的に不安があることなどの理由をあげ、退職の意思がない旨主張した。
なお、同被告は、原告に対する勧奨中、「組合」役員が昼食時間であると申し入れたのに対し、右原告も同席する場で、「今年はイエスを聞くまでは、時間をいくらでもかける。昼食も夕食も教育委員会で用意してもよい。」旨の発言をした。
3三月一三日
市教委(市役所)において、一六時一五分から一六時四〇分までの間、被告八木および藤原総務課長が原告河野に対し退職を勧奨したところ、同原告は、下商出身だから下商で死ぬまで勤めると主張して勧奨を拒否したが、その際右被告は、「あなたは生れるのが少し早すぎた。やめたくなければ、もう少し遅く生れてくればよかつた。」旨発言し、右藤原は「下商はえらい。皆がんばつている。下関市役所の人はすぐやめてくれる。」と発言した。
なお、被告八木は、右勧奨に先立ち、「組合」役員が原告らの代理人として勧奨の場に同席することを認めるよう要求したのに対し、これを拒否し、さらに、右勧奨が終了した後、「組合」役員が連日の呼出しに抗議したのに対し、右原告も近くに居たところで、「組合」役員に対し、「教委の命令をうけているのです。」「いつまででもやりますよ。」「正しいか、正しくないかは裁判所で決定してもらうよりないですよ。私たちは必要だからやります。」「(裁判所に訴えますよと言つたのに対し)いいですよ。白黒をつけてもらおうではないですか。」などと発言した。
4三月一四日
市教委(市役所)において、一四時三〇分から一六時まで、被告八木、古谷主査、河田指導室長および森指導主事が原告坂井に対し退職を勧奨したところ、同原告は前回(三月一二日)と同様の理由で退職しない旨を表明したが、右勧奨の際同被告は、同原告に対し、「私はあなたの家をよく知つている。退職勧奨を受けておられるということを奥さんに話しにくいなら、私の方から奥さんにお話ししてもよいですよ。あなたがやめれば欠員の補充もできるし、学校設備の充実もできる。あなたがやめれば、すべてが円満に解決する。」などと発言した。
5三月一六日
市教委(市役所)において、被告八木、河田指導室長および古谷主査(伊勢木校長も同席)が、原告坂井に対して一〇時一〇分から一一時三〇分までの間、右河田および古谷が、原告河野に対して一三時から一四時一五分までの間、それぞれ退職を勧奨したが、原告坂井はその間あまり発言せず、市教委側の説明をメモしていたにすぎなかつたが、原告河野は退職の意思のないことを表明したところ、右古谷は同原告に対し、「そろばんがおできだから塾でも開かれてはどうですか。」と述べ、さらに、同原告が外国や他の都市では相当の高令者が勤務している例をあげて、それらの年令が常識と考えている旨述べたのに対し、「ほかのところでは、それが常識かもしれないけれど、だから下関でもそれをあてはめようとするのは非常識です。どちらが常識であるのか、唐戸の電停あたりで一般市民に聞いてもらいましようか。」などと述べた。
6三月一七日
市教委(市役所)において、被告八木、河田指導室長、古谷主査および森指導主事が、原告河野に対して一一時三〇分から一二時三〇分までの間、右河田、古谷および森が、原告坂井に対して一五時から一六時までの間、それぞれ退職を勧奨したところ、右河野は退職の意思のないことを表明し、右坂井はあまり口をきかなかつた。右勧奨に際し、同被告は原告河野に対し、「あなたは教員室で一人本ばかり読んでいる。立派な本ではあるが手垢でよごれている。」などの発言をした。
なお同日午後六時ごろ、原告坂井が宿直勤務中、市教委関係者の西村五男から頼まれたといつて旧下商職員中川力が訪れ、同原告に退職をすすめた。
7三月一八日
市教委(市役所)において、古谷主査が、原告河野に対して一五時から一五時二五分までの間、同坂井に対して一五時三五分から一六時一〇分まで間、それぞれ退職を勧奨したが、その際原告河野に対し、「学校をやめてそろばん教室とか、簿記の講習会を開くなどの社会教育に従事してはどうか。」と述べ、右河野は「そのような意思はない。同じ働くなら母校の下商のために働く。」と答えた。
8三月一九日
市教委(市役所)において、被告八木および岡田課長補佐が原告河野に対して一〇時一〇分ごろから一一時三〇分ごろまでの間、右岡田および古谷主査が原告坂井に対して一四時五〇分から一五時四五分ごろまでの間、それぞれ退職を勧奨したが、その際同被告は、原告河野に対し、退職金や年金の運用について話し、これを運用すれば、「寝て暮せる。」などと述べ、同原告が「若い者に負けない情熱を持つている。」と述べたところ、「その情熱のそそがれた教材研究とか、研究物があつたら見せて下さい。」と要求し、同原告が「そんなものはありません。」と答えたところ、「下商の先生には一〇万トン級がだいぶおられるが、誰も週十六、七時間授業をしたら、あとは研究もなにもされないのですか。」と述べ、指導案等の提出を要求した。同原告は、退職金等の運用について、物価があるので不安であることなどを理由に勧奨を受け入れ難い旨言明し、また原告坂井も退職の意思のない旨を告げ、時間の浪費になるから勧奨を打切るよう要求し、さらに同月二二日から二六日までの間は下商で電算機の講習があり、それに参加したいから、その間呼出しを避けてほしい旨要望した。
なお、組合役員も右と同様の要望をしたところ、被告八木は、「あの人達に電子計算機などやつてもらうつもりはない。講習会なんか関係ないですよ。」などと発言した。
9三月二三日
原告両名は、市教委(市役所)に出頭を命ぜられたため、電算機の講習中であつたにもかかわらず途中退席して午後二時ごろ出頭したところ、被告八木ら勧奨担当者が不在であつたためそのまま帰校した。
10三月二四日
市教委(市役所)において、古谷主査、河田指導室長および森指導主事が、原告河野に対して一四時から一四時五〇分までの間、同坂井に対して一五時から一五時五〇分までの間、それぞれ退職を勧奨し、場合によつては講師ということも考えられる旨述べたところ、原告両名は、条件付退職も考えられないと答え、講習会があるので同月二六日まで勧奨しないよう要望した。
11三月二六日
電算機の講習が終了した後、伊勢木校長が原告両名を校長室に呼び、原告坂井に対しては一五時一〇分から一六時までの間、同河野に対しては一六時から一六時三〇分までの間、私見であるとことわつたうえ、講師になるよう勧奨したが、原告らはいずれもこれを拒否した。
12四月二日
市教委(市役所)において、被告八木、古谷主査および河田指導室長が、原告坂井に対して一三時三五分から一四時三〇分までの間、同河野に対して一四時三〇分から一五時三〇分までの間、それぞれ退職を勧奨し、講師となるよう提示したが、原告らはいずれもこれを拒否した。これに対し、右古谷は原告河野に対し、「講師の問題の宿題を出しておきます。明日返事をしてもらいたい。」旨を告げた。右勧奨を受けた際原告坂井は、「新年度の時間割も決まり、準備にかからねばならないので、これからは代理人に言つてほしい。年度が変つてまで続けられては困る。」旨要望した。
13四月三日
市教委(市役所)において、古谷主査および大谷指導主事が、原告坂井に対して一三時三〇分から一四時二〇分までの間、右両名および岡田課長補佐が、原告河野に対して一四時二五分から一五時三〇分までの間、それぞれ勧奨を行ない、右河野は前日の「宿題である講師の件について、講師は一年任期で身分の保障がないこと、給与が減少すること、健康保険の適用がなくなることなどを理由に拒否した。また右坂井は退職の意思のないことを表明したが、これに対し古谷はやめない理由を教育委員会のみんなの席で説明するよう求めた。
14四月二三日
被告八木は、電話で原告らの代理人である「組合」の中野委員長に、原告らの退職の意思の確認を依頼し、右中野は翌二四日原告らの意思を確認したうえ、同人らが退職する意思がない旨市教委に通告した。
15五月一三日
被告八木は、前記と同様右中野に原告らの退職の意思の確認を依頼し、同人は原告らの意思を確認したうえ、翌一四日、退職の意思がない旨市教委に通知した。
16五月二七日
市教委(図書館において、被告八木ほか一名が、原告両名に対し、その後心境に変りがないかと尋ね、原告らはいずれも変らない旨述べた。
17六月九日
市教委(図書館)において、被告八木および大谷指導主事が原告河野に対し、「あれほどお願いしているんですが、お気持に変化はありませんか。」と尋ね、同原告は「変化がない。」旨返答した。そこで同被告は市教委に配置換して同原告に中学の職業指導と下商の教育課程の抜本的改革案の作成を担当してもらう旨の内示をした。これに対し同原告は、六月一一日、新学期の授業が軌道にのりかけた時期であり、生徒に悪影響があること、現場教師で終りたいことを理由に、右配置転換を拒否した。
18七月一四日
被告八木は、中原校長代行を通じ、原告河野に出頭を命じたが、同原告は応じなかつた。
三本件退職勧奨の態様と問題点
1勧奨のための出頭命令
前記認定のとおり原告坂井に対しては合計一〇回、同河野に対しては合計一一回(もつとも、原告両名に対する出頭命令の回数は、前記認定のとおり出頭したにもかかわらず勧奨者が不在のため勧奨を受けずに終つた各一回および原告河野において出頭命令に応じなかつた一回を合せると、原告坂井については合計一一回、同河野については合計一三回である。)、それぞれ市教委において、被告八木ほか六名の市教委事務所局職員から退職勧奨がなされたが、<証拠>によれば、右市教委における退職勧奨は、昭和四五年三月一二日、被告八木が下商校長を通じ、人事について話し合うから市教委へ出頭するよう命じて原告らを出頭させたのをはじめとして、その後は勧奨が行なわれた機会に勧奨者が原告らとの問で授業時間等にに差しつかえのない日時が決められたり、校長あるいは校長職務代行者を通じて口頭や書面で提示して出頭させたりしたものであること、出頭命令の理由は明示された時もされない時もあつたが、同年五月二七日については、原告両名とも「現在の心境その他教育について懇談のため」という理由で、出頭を命じられたものであること、被告松原および同八木は、右出頭命令について、これを勤務関係を前提とする職務命令であると理解し、従つて原告らが命令に違背すれば懲戒事由となりうるものであると考えていたこと、また原告らも実際問題としては右被告らと同様に職務命令であると考えて出頭に応じていたものであることが認められる。
2代理および立会問題
<証拠>によれば、昭和四五年三月五日、原告らはその後に予想される退職勧奨等について、自己の所属する「組合」の執行委員長であつた川崎滋彦に市教委との交渉を委任し、そのころ、その旨右川崎から被告松原に通知され、その後執行委員長の交替にともない、原告河野は同年四月一一日、同坂井は同月一二日、それぞれ同組合執行委員長中野丙三ほか三名に対し、右と同趣旨の委任をしたこと、そして前記市教委における第一回の勧奨(三月一二日)の際、原告らの代理人として右川崎が被告八木に対し、代理人として、また「組合」役員として原告らに対する勧奨の場に立会わせるよう要求し、原告ら自身も右川崎らの立会を希望していたが、被告八木は右川崎ら「組合」役員に対してはやめてくれることに協力してくれるのであれば立会を認めてもよいなどと述べたものの、退職勧奨は代理に親しまないものであると主張して代理権を認めず、「組合」役員としての立会も拒否したこと、そのため川崎らは勧奨の場に立会うことが出来ず、隣室で待機していたこと、そしてこのことはその後本件勧奨がなされた期間中引続き同様の状態であつたことが認められる。
3レポート等の提出要求
<証拠>によれば、被告八木は、昭和四五年五月三〇日、校長代行の中原を通じて、原告坂井に対し、原告らについて市議会に問題が提起されるので、その時の資料として、同原告の教師的活動あるいは研究成果に関するレポート(枚数制限なし)を六月一日までに提出するよう命じたが、その後督促することもなく、結局提出するまでには至らなかつたことが認められる。
また被告八木が別紙第二表の回数第一七ないし第一九記載の各日時ごろ、原告河野に右と同様の研究物の提出を求めるため、同原告方に三回にわたつて電話をかけ、一、二回目は同原告が、三回目は同原告の妻河野貞世が応答したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、被告八木が右研究物の提出を求めた理由は、同年六月三日開催予定の市議会文教委員会において下商問題が議論された場合に、原告河野を市教委に配置換えする案を示し、その説明の資料として使用しようと考えたためであること、夜間に電話した理由は、一、二回目は、そのころ同被告のもとに市会議員から右委員会で取り上げられる可能性がある旨の情報がもたらされたため、早急に同原告に連絡したほうがよいと考えたためであること、一回目の電話では、同被告は同原告に対し、「文教委員会で質問された際、あなたが熱心な立派な先生であると答えたいから研究物を提出してほしい。」旨述べ、二回目には「やめなければ、クマさんの愛称(同原告の愛称)がすたりますよ。」「あなたに市教委に来てもらつて電算機の事務局の仕事をしてもらおうと思つている。」などと述べ、三回目には、同原告の妻河野貞世に対し、「伊勢木校長がこの問題(退職勧奨の問題)で悩み病気になり入院している」旨話したこと、同原告は再々このような電話がかかるため不眠がちとなり、研究物の作成と夜間の電話を避けるため同年五月三〇日夕方から翌三一日昼ごろまで妻と共に川棚温泉に投宿し、三一日午前三時ころまでかかつて研究物を完成したこと、しかし、右研究物はその後右被告から提出を求められなかつたため、提出するに至らず、また前記文教委員会でも右の問題については何ら審議されなかつたこと、同原告の妻は心臓病の持病があつたが、被告八木からの右電話を聞いて精神的打撃を受け、その後は電話に対してノイローゼ気味となり、夜も安眠できない状態に陥つたことが認められる。
4宿直廃止、欠員補充問題
<証拠>によれば、「組合」は昭和四三年度から市教委に対し、教員による宿直制度廃止を要求してきたが、これに対し市教委は、県立高校に準じて実施していく旨回答していたこと、昭和四五年二月二〇日、山口県教委は県立高校の教員による宿直制度を同年四月一日から廃止する旨発表したが、これに先立ち「組合」は右発表についいての情報を入手したので、同年二月一九日市教委と交渉をもち、県立高校と同様四月一日から廃止するよう要求したところ、市教委は「県の発表をきいて早急に検討する」旨回答したこと、そして、県立高校においては右発表どおり廃止が実施されたが、市教委は下商についてはこれを実施せず、さらに同年六月一日からは下関市立小、中学校ににおいても教員による宿直制度を廃止したにもかかわらず依然として下商についてはこれを実施しなかつたこと、そこで、「組合」は同年三月以降五月ごろまでにかけて、市教委に対し再々県立高校と同様に廃止するよう要求を続けたが、市教委はこれに対し明確な回答をせず、かえつて被告八木は同年五月二五日ごろ「組合」役員に対し、「退職問題が進展をみない現時点では宿直廃止の件まで頭がまわらないい。先に越さねばならぬ橋があるのに、そのずつと先まで急には行けぬ。だがもし今日にも退職問題が解決すれば、明日からでも宿直は廃止する。」と述べ、その後は宿直問題については交渉にも応ぜず、退職問題が解決しない限り、宿直の廃止には応じかないとの態度をとり続けてきたこと、また、昭和四四年一〇月二九日、「組合」と市教委との交渉の中で、当時下商に教員一名の欠員のあることが確認され、翌四五年四月一日からこれを補充する旨約束していたにもかかわらず、右補充を実施せず、その後「組合」の要求に対しては、宿直問題に関してとつたのと同様の発言態度をとり続けたこと、宿直については、本訴が提起された後の同年九月一日に至つてようやく下商においても実施されたが、原告らは宿直廃止問題および欠員補充問題が右のように容易に解決しない原因が自分らにあるのではないかと考え、同僚に迷惑をかけることを心苦しく思い悩んだことが認められる。
5市教委への配転問題
<証拠>によれば、被告八木は、原告両名とともに昭和四四年度の退職勧奨の対象として集中的に勧奨を行つてきた訴外田辺政子が、期待に反して退職拒否をし続けるのをみて、昭和四五年四月二七日、同女に対し、「大変優秀な教員であることがわかつた。市教委へ来て小中学校の国語の先生の指導して欲しい。」等といつて市教委への配転を内示したこと、同女は右配転を拒否し、下商の校長や「組合」役員もこれに反対したが、同被告は、同女が退職すればともかく、そうでない場合は配転を強行する意向を示したので、下商の教諭として職務を全うしたいと考えていた同女は、同年五月七日、やむなく同年一二月三一日限り退職する旨申し出たため、右配転はとりやめとなつたこと、その後同被告は、同月二九日夜原告河野方に電話して、同原告に対し、「市教委へ来て電算機の事務局の仕事をして欲しい」旨述べ、さらに同年六月九日、同原告に対し、「中学の職業指導と下商の教育課程の抜本的改革案の作成を担当するため、市教委へ来て欲しい。」旨述べて市教委への配転を提示したこと、右配転については同原告がこれを拒否し、下商校長もこれに反対したため、発令するに至らなかつたこと、市教委の河田指導室長は、同月一三日ごろ、「組合」役員に対し、同原告に対する右配転計画をしらないと述べたことが認められる(同原告に対し市教委への配転を提示したことは当事者間に争いがない)。
6勧奨時の被告らの発言
前記第三の二に記載した各証拠によれば、被告八木ら勧奨担当者は、原告らおよび「組合」役員に対し、勧奨の場あるいは勧奨の前後の「組合」役員らとの交渉に際し、大要次のごとき発言をしたことが認められる(既に記述したものは除く)。
(1) 原告らに対するもの
(イ) 組合が要求している定員の大幅増もあなた方がいるからできませんよ。
(ロ) あなたが辞めたら二、三人はやとえますよ。
(ハ) 新採用をはばんでいるのはあなた方ですよ。ジラや我儘をいわないで協力して下さい。
(二) 同窓生のなかにあの先生はまだいたのですかとおどろいている人がいますよ。
(ホ) 一人がこたつを占領していたり、お風呂にぬくぬくと入つていたのでは、後の者は入れませんよ。
(ヘ) 退職金で債券を買えば利子で暮らせるでしよう。
(ト) 武士は食わねど高揚子といつたプライドはありませんか。ここらで引時を立派にしようではありませんか。
(チ) 下商は以前に比べて沈滞しているのではないですか。
(リ) 高令者が多くて生徒もかわいそうなんじゃないですか。
(ヌ) 委任状を取り下げでくださいよ。一対一で話しましよう。
(ル) 組合の中にもやめればいいと思つている人もいますよ。
(2) 「組合」役員に対するもの
(イ) もう四年も五年もお願いしているのだから、今年はわかつていただけるまで、勧奨はどしどしやりますよ。
(ロ) とにかく勧奨はしますよ。いつまでかかろうと、何日かかろうと了解してもらえるまで、イエスといつてもらえるまでやります。
(ハ) 今年は市教委の総力を投入してやる。
(ニ) あなた方の有給休暇がなくなるまでやりますよ。
(ホ) 私たちは、どんな手段を講じてもやめてもらいますよ。
(ヘ) 一時間、二時間(授業が)ぬけても、やめてもらえば、永い目でみるとプラスになりますよ。少々迷惑だといつてもやりますよ。
(ト) 夏休みは授業がないのだから、毎日来てもらつて勧奨しましよう。
第四退職勧奨の法的性質
一定年制と退職勧奨
定年制は、労働者が一定の年令に達することにより、個々の労働者の意思、能力、職務内容等の個別事情にかかわらず当然に労働関係を終了させる制度であるが、我が国において一般的に採用されている年功加俸的賃金体系によれば、労働者が高令になるにつれて労働能力が逓減するのに、賃金は逆に逓増するという結果が生じることから、人事の刷新、経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために合理的な制度として、我が国において広く定着している(最高裁判所昭和四三年一二月二五日判決、民集二二巻一三号三四五九頁参照)。
しかしながら、右にいう合理性は主として使用者の側における合理性であつて、労働者の労働能力、労働意思あるいはその必要性等、個別の事情を斟酌しえない点において、定年年令が社会情勢に遅れるおそれがあり、定年年令と社会保障制度との隔差等種々の社会的、政治的問題を含み、賃金の逓増についても、終身雇傭に基づく年功加俸賃金体系のもとにおいては、老令者の賃金の高低のみでなく、生涯賃金の総合的検討も要するものといわなければならず、定年制の社会的妥当性については一概にこれを論ずることは困難である。
ところで、地方公務員法は一般職に属するすべての地方公務員について、同法に定める事由がなければ、その意に反して免職することを禁じており(同法第二七条第二項)、その事由としては、分限(同法第二八条)と懲戒(同第二九条)の二事由のみを定めている。従つて、一般職公務員については、いわゆる定年はなく、右事由、ことに分限事由に該当しない限り、年令のいかんにかかわらず強制的に退職させられることはない(右各規定は昭和二六年八月一三日施行され(同法附則第一項)、同日から右公務員についての定年制は廃止されるに至つた。)。そこで、任命権者は、特定の職員をやめさせるためには、任意退職を求める以外に方法がなく、財政負担の軽減、人事の刷新等の必要性から各地で退職勧奨が進められ、さらに退職を慫慂するため種々の優遇措置が設けられるようになり、一定年令を超えた職員に対し退職を勧奨することが全国的に行なわれるに至つている(請求原因第二項の1の事実は当事者間に争いがない)。
このような退職勧奨は、社会保障制度や平均寿命の伸長等の社会的要因に適合した勧奨年令が設定され、しかも個々人の経済事情、労働能力、労働意思に対する十分な配慮が加えられる等柔軟な運用がなされるならば、種々の優遇措置の充実と相まつて、定年制の画一的な運用による欠点を排し、その必要性を満たす有効な手段たりうるものと考えられる。
二退職勧奨の法的性質
次に、退職勧奨の法的性質について検討するに、退職勧奨は、雇傭関係にある者に対し、自発的な退職意思の形成を慫慂するためになす説得等の事実行為であるが(この点については当事者間に争いがない)、一面雇傭契約の合意解約の申入れあるいは誘因という法律行為の性格をも併わせもつ場合もある。そして、右の単なる事実行為としての退職勧奨は何人も自由になしうる反面何らの法律効果も生じないが、合意解約の申入れないし誘因としての性格を併せもつ退職勧奨は任命権者およびその委任を受けた者でなければこれをなし得ず、被勧奨者が任命権者の退職勧奨を受諾すれば直ちに、あるいは任命権者の承諾を得て雇傭契約終了の効果が生じ、優遇措置を受ける条件を有する場合は、右優遇措置を受ける権利をも取得するものと解する。しかしながら、右いずれの場合においても、被勧奨者は何らの拘束なしに自由にその意思を決定しうるのはもとより、いかなる場合でも勧奨行為に応ずる義務もないと解するのが相当である。なお勧奨は一定の方法に従つて行なわれる必要はなく、退職を求める人事行政上の事情や、被勧奨者の健康状態、勤務に対する適応性、家庭の事情その他被勧奨者の要望等具体的情況に応じて、退職の同意を得るために適切な種々の観点からの説得方法を用いることができるが、いずれにしても、被勧奨者の任意の意思形成を妨げ、あるいは名誉感情を害するごとき言動が許されないことは言うまでもなく、そのような勧奨行為は違法な権利侵害として不法行為を構成する場合があることは当然である。
三優遇措置のともなわない退職勧奨
前述のように退職勧奨は種々の優遇措置を条件としてなされるのが通例であり、また優遇措置がなされることによつて定年制の必要性と欠陥が調和的に解決しうるのであつて、定年制の存しない公務員等に対する退職勧奨が社会的妥当性を有するゆえんでもあると考えられる。しかしながら、前述の退職勧奨の性質に照らすと、いる優遇措置を講ずるか、あるいは何らの措置もなさないかの判断は任命権者において自由になしうるというほかなく、一切の優遇措置を打切つた後に退職を勧奨したとしても、これをもつて直ちに違法な勧奨とは言えないことは明らかである。もつとも、右のように解したとしても、優遇措置が行なわれたか否かは、退職勧奨が許容される限度を検討するにあたり考慮されねばならない重要な事情の一つであることには変りないというべきである。
四退職勧奨のための職務命令
退職勧奨は前記のような性質を有する行為であり、任命権者は、雇傭契約の一方の当事者として人事管理等の必要に基づき、いつでも被用者に対し退職を勧奨することができ、任命権者のかかる行為は、その職務権限に基づくものと解される。
ところで、地方公務員法は、職員は、その職務を遂行するに当つて、上司の職務上の命令に従う義務がある旨を規定(同法第三二条)している。
そこで任命権者は退職を勧奨する目的で、被用者に出頭を命ずるなどの職務命令をなしうるか否かについて考えてみるに、右に述べたように、任命権者はその職務行為として退職を勧奨しうると解されるが、職務命令は被用者の職務の遂行に関してのみなしうるものであり、退職勧奨は前述のように雇傭契約の終了を目的とする事実上および法律上の行為であつて、被勧奨者にとつては、その職員としての職務の遂行とは何ら関係はないのであるから、任命権者の勧奨行為に応ずる義務はなく、従つて、任命権者は被用者に対し、退職を勧奨するために出頭を命ずるなど職務上の命令を発することはできないというべきである。
五被勧奨者の代理および代理人等の立会
雇傭契約の締結および解約については、一般に代理人によつてこれをなすことは可能(但し、未成年者については、労働基準法第五八条第一項により法定代理人による雇傭契約の締結は禁じられている。)であり、退職勧奨が前述のような法的側面を有するものである以上、被勧奨者が代理人を選任することは有効にこれをなしうると解される。しかし代理を有効になしうることと、相手方である任命権者がこれを承認し、代理人と交渉するか否かは別個の問題であり、任命権者は代理人との接渉を拒絶し、直接本人である被用者との交渉を求め得ることは言うまでもなく、ただ被用者は既述のごとく任意に勧奨に応じ、あるいはこれを拒絶しうるのであり、従つて代理人を通さない勧奨には一切応じないことも、もとより可能である。
次に代理人の立会権について考えてみるに、右に述べたように任命権者は代理人との交渉自体を拒否しうるのであるから、勧奨の場への立会いも当然に拒絶しうるものであり、代理人であることを理由に当然には立会いを要求することはできないというべきである。また組合役員等の立会についても、個々の被用者に対する勧奨は一般的な勤務条件に関するものとは解されないから、組合員に対する勧奨であつても、当事者双方の承諾がなければ立会することは許されない。しかし、被勧奨者が代理人あるいは組合役員等の立会いを希望するにもかかわらず勧奨者がこれを拒絶した場合は、被勧奨者も立会人のいない場での勧奨を拒絶できることはいうまでもないが、さらに、右の希望を無視して勧奨行為がなされたような場合には、そのことが違法性を評価する一つの事情となりうるものと考える。
第五本件退職勧奨の違法性
一退職勧奨の限界
既に述べたように、退職勧奨はその性質上任命権者(使用者)において自由になし得るものであり、反面被用者は理由のいかんを問わず、勧奨を受けることを拒否し、あるいは勧奨による退職に応じないことができるのであつて、勧奨の回数、期間、勧奨者の数等により形式的にその限界を画することはできない。そして、被勧奨者が退職しない旨を明言したとしても、そのことによつて、その後は一切の勧奨行為が許されなくなるとも断じ難い。
しかしながら、退職勧奨は往往にして職務上の関係に羈束されたなかで、その上下関係を利用してなされるものであり、被用者が前記のような自由を有するからといつて、無限定に勧奨をなしうるものとすることは、不当な強要にわたる勧奨を許し、実質的な定年制の実現を認める結果となるであろうことは容易に推測しうるところであり、そこに何らかの限界をもうける必要があるものといわねばならない。
そこで、進んでこの点について検討を加えると、そもそも退職勧奨のために出頭を命ずるなどの職務命令を発することは許されないのであつて、仮にそのような職務命令がなされても、被用者においてこれに従う義務がないことは前述のとおりであるが、職務上の上下関係が継続するなかでなされる職務命令は、それがたとえ違法であつたとしても、被用者としてはこれを拒否することは事実上困難であり、特にこのような職務命令が繰り返しなされる時には、被用者に不当な圧迫を加えるおそれがあることを考慮すると、かかる職務命令を発すること自体、職務関係を利用した不当な退職勧奨として違法性を帯びるものと言うべきである。そして、被勧奨者が退職しない旨言明した場合であつても、その後の勧奨がすべて違法となるものではないけれども、被勧奨者の意思が確定しているにもかかわらずさらに勧奨を継続することは、不当に被勧奨者の決意の変更を強要するおそれがあり、特に被勧奨者が二義を許さぬ程にはつきりと退職する意思のないことを表明した場合には、新たな退職条件を呈示するなどの特段の事情でもない限り、一旦勧奨を中断して時期をあらためるべきであろう。
また、勧奨の回数および期間についての限界は、退職を求める事情等の説明および優遇措置等の退職条件の交渉などの経過によつて千差万別であり、一概には言い難いけれども、要するに右の説明や交渉に通常必要な限度に留められるべきであり、ことさらに多数回あるいは長期にわたり勧奨が行なわれることは、正常な交渉が積み重ねられているのでない限り、いたずらに被勧奨者の不安感を増し、不当に退職を強要する結果となる可能性が強く、違法性の判断の重要な要素と考えられる。さらに退職勧奨は、被勧奨者の家庭の状況等私事にわたることが多く、被勧奨者の名誉感情を害することのないよう十分な配慮がなされるべきであり、被勧奨者に精神的苦痛を与えるなど自由な意思決定を妨げるような言動が許されないことは言うまでもないことである。このほか、前述のように被勧奨者が希望する立会人を認めたか否か、勧奨者の数、優遇措置の有無等を総合的に勘案し、全体として被勧奨者の自由な意思決定が妨げられる状況であつたか否かが、その勧奨行為の適法、違法を評価する基準になるものと考えられる。
二本件退職勧奨の違法性
そこで先に認定した原告らに対する本件の退職勧奨について考えるに、原告らは第一回の勧奨(二月二六日)以来一貫して勧奨に応じないことを表明しており、特に市教委における最初の勧奨(三月一二日)は、原告坂井に対して一時間五〇分、同河野に対しては二時間一五分にも及んでおり、市教委の退職を求める理由はこの機会において十分説明されたものと考えられるところ、これに対し原告らは退職する意思のないことを理由を示して明確に表明しており、特に原告らについてはすでに優遇措置も打切られていたのであるから、それ以上交渉を続ける余地はなかつたものというべきである。しかるに被告八木らはその後も原告坂井については五月二七日までの間に一〇回、河野については七月一四日までに一二回、それぞれ市教委に出頭を命じ、被告八木ほか六人の勧奨担当者が一人ないし四人で、一回につき短いときでも二〇分、長いときには一時間半にも及ぶ勧奨を繰り返したもので、明らかに退職勧奨として許容される限界を越えているものというべきである。
また本件以前には例年年度内(三月三一日まで)で勧奨は打切られていたが、本件の場合は四月一日以降も引続いて勧奨が行なわれ、加えて被告八木らは、原告らに対しても、「組合」役員に対しても、原告らが退職するまでは勧奨を続ける旨の発言を繰り返し述べており、このことによつて、原告らに際限なく勧奨か続くのではないかとの不安感を与え、心理的圧迫を加えたものであり、許されないものといわなければならない。なお本件退職勧奨は市教委の決定によるものであることは前記のとおりであるが、右決定は昭和四四年度末人事に関するものであり、特段の指示がない限り、被告八木らは新年度に引続いて勧奨する権限をもたなかつたものと解すべきところ、<証拠>によれば、同被告は被告八木に対し、年度を越えて勧奨してもよいともいけないとも言つていないというのであり、本件について年度を越えてなされた勧奨は被告八木の独断的行為というべきである。
さらに、被告八木らは、原告らの要求する代理人の立会いも認めず、右のような長期間に亘る勧奨を続け、電算機の講習期間も原告らの要請を無視して呼び出すなど、終始高圧的な態度をとり続け、当時「組合]が要求していた欠員補充や宿直廃止についても、何ら関係がないのに、退職問題の解決、即ち原告らの退職がない限り、右の要求を受け付けない態度を示し、原告らに対し二者択一を迫るがごとき心理圧迫を加えたものであり、また原告らに対するレポート、研究物の提出命令も、真にその必要性があつたものかどうかは甚だ疑問であり、いずれも不当といわねばならない。
また原告河野の市教委への配転についても、先に訴外田辺政子に対し勧奨が奏効しない段階で市教委勤務を内示したところ、同女がこれを嫌い結局退職を約束したという前例があること、同原告に配転を示唆した時期が不自然であるうえに、五月二九日の電話の時と六月九日に市教委で説明した時とでは勤務内容も相異していること、配転が実現した場合には直接の上司となる河田指導室長が当時右配転計画を知らなかつたこと、同原告に対しては、右のように配転を示唆しながらも他方では退職を勧奨し続けたこと、および下商校長等の反対もあり配転は実現するに至らなかつたことなどの事情を総合すると、この配転は市教委にとつて必要はなく、もつばら退職を実現するための手段として提起されたものであるとの疑いを拭い去ることができない。
以上の諸点に前述の本件退職勧奨の際にされた被告八木らの発言内容を総合すると、本件退職勧奨は、その本来の目的である被勧奨者の自発的な退職意思の形成を慫慂する限度を越え、心理的圧力を加えて退職を強要したものと認めるのが相当である。被告らは市教委にとつて本件退職勧奨は必要かつやむを得ないものであつたと強調するが、いかに必要であつたとしても任意退職を求めるものである以上、強要にわたる行為が許されないことは言うまでもないところであり、右の必要性についても、下商の教員の平均年令が県立高校のそれよりも若干高いことや一般的に新陳代謝をはかる必要性があつた旨主張するのみであつて、原告らが在職することによる具体的な教育上の影響などについては何ら示されておらず、それを窺わせるに足る資料もなく、むしろ被告八木らの発言からは実質的な定年制を意図しているのではないかとさえ推測され、被告らの主張は採用しがたい。
第六被告らの責任
一被告下関市の責任
本件退職勧奨は、原告らの任命権者である市教委の決定に基づき、下関市の公務員である被告八木(同被告が下関市の公務員であることは当事者間に争いがない)らにおいてなされたものであるが、前述のように退職勧奨は任命権者の人事権に基づく行為であり、下関市の公権力の行使であるというべきである。そして被告八木らは自己の職務行為として原告らに退職を勧奨するに当り、その限度を越え原告らに義務なきことを強要したものであり、これは少なくとも過失によるものと認められるから、被告らに対し国家賠償法第一条第一項により、右のごとき違法な退職勧奨によつて原告らが受けた損害を賠償すべき義務がある。
二被告松原、同八木の責任
本件は右被告らの職務行為の違法を理由とする国家賠償の請求であるところ、かかる場合は国または公共団体が賠償の責に任ずるのであつて、当該公務員がその行政機関としての地位においても、個人としても直接に被害者に対し損害賠償義務を負担するものではないと解するのが相当であるから、右被告らに対する本件請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
第七原告らの損害
最後に原告らが本件退職勧奨により受けた損害およびその額について検討するに、原告坂井に対する三月一四日以降の、同河野に対する同月一三日以降の退職勧奨の回数、その態様、勧奨時の被告八木らの発言、勧奨に関連してなされたレポート、研究物の要求、宿直廃止問題、原告河野に対する夜間の電話、配転問題など、ここまで認定してきたところの事情をすべて総合して考えると、原告らが本件退職勧奨により、受忍の限度を越えて名誉感情を傷つけられ、あるいは家庭生活をみだされるなど相当の精神的若痛を受けたことは容易に推測し得るところであり、また<証拠>によつてもこのことは十分認定しうるのであつて、このような原告らの精神的苦痛は相応の金員をもつて慰謝されて然るべきである。そこでその額について考えるに、本件以前に原告坂井は四年間、同河野は三年間勧奨を続けられていたこと、本件勧奨によつても原告らは退職するに至らず、原告坂井は翌年まで、同河野はその後三年間下商に勤務していたこと、および本件勧奨時に「組合」役員らが常時別室で待機し、原告らを励ましていたことなどの事情を斡酌すると、原告坂井については金四万円、河野については金五万円をもつて相当と考える。
第八結論
以上の理由により、被告下関市は、原告坂井に対して金四万円、同河野に対して金五万円および右各金員に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四五年八月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告らの本訴請求は右被告に対する右金額の限度で理由があるからこれを認容し、右被告に対するその余の請求および被告松原、同八木に対する各請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を適用し、仮執行の宣言の申立については相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。
(大須賀欣一 小川国男 井垣敏生)
第一表
原告坂井に対する退職勧奨
回数
月日
曜日
勧奨者
時間
場所
態様
一
二
・二六
木
校長
二~五分間
校長室
校長を通じ、退職の意思を打診。
本人はその意思のない旨を表明。
二
三
・一二
木
八木
二・四五~
一四・三〇
市教委
職務命令による呼び出しにより出頭。
本人は退職の意思のない旨を言明。
三
三
・一四
土
八木、
河田、
森、
古谷
一四・三〇~
一六・〇〇
市教委
職務命令による呼び出しにより出頭。
本人は退職の意思のない旨を言明。
八木は、「退職をすすめに、お宅に行つて奥さんに
話してもよいですよ。」という。
四
三
・一六
月
八木、
河田、
古谷(校長)
一〇・一〇~
一一・三〇
市教委
職務命令による呼び出しにより出頭。
本人は退職の意思のない旨を言明。
五
三
・一七
火
河田、
森、
古谷
一五・〇〇~
一六・〇〇
市教委
本人は退職の意思のない旨を言明。
なおこの夜本人は宿直であつたが、
その際、現下関市教育委員長職務代理者西村五男より
勧奨の件を聞いた旧下商職員中川力が訪れ、
本人に対し退職勧奨する。
六
三
・一八
水
古谷
一五・三五~
一六・一〇
市教委
本人は退職の意思のない旨を言明。
七
三
・一九
木
岡田、
古谷
一四・五〇~
一六・〇〇
市教委
右に同じ。
八
三
・二三
月
(不在)
一四・〇〇~
市教委
約束どおり出頭するも不在。
九
三
・二四
火
古谷、
河田、
森
一五・〇〇~
一五・五〇
市教委
本人は退職の意思のない旨を言明。
一〇
三
・二六
木
校長
一五・一〇~
一六・〇〇
校長室
講師となるよう勧奨。本人はこれを断つた。
一一
四
・二
木
八木、
河田、
古谷
一三・三五~
一四・三〇
市教委
右に同じ。
一二
四
・三
金
古谷、
大谷
一三・三〇~
一四・二〇
市教委
右に同じ。
一三
四
・二三
木
八木
不明
下商教員室
電話で「本人の退職の意思の有無」を
代理人中野に尋ねてきた。
同人は本人の意思を確認し、
翌二四日「退職しない。」旨回答した。
一四
五
・八
金
八木
不明
市教委
「本人の退職の意思の有無」を代理人に尋ねた。
一五
五
・一三
水
八木
不明
下商教員室
電話で「本人の退職の意思の有無の確認」を
代理人中野に依頼した。
同人は本人の意思を確認し、
翌一四日「退職しない。」旨回答した。
一六
五
・二七
水
八木、
岡田
一四・二〇~
一四・四〇
市教委
「心境について聞きたい。」との職務命令で出頭したところ、
「心境は変らないか。」と尋ねたので、
本人は「変らない。」と答えた。
註 勧奨者欄に記載した者の職名は次のとおりである(第一、第二表に共通)。
八木 教育次長兼学校教育課長(被告)
岡田 学校教育課課長補佐
古谷 同課主査
藤原 総務課長
河田 指導室長
大谷 指導主事
森 指導主事
第二表
原告河野に対する退職勧奨
回数
月日
曜日
勧奨者
時間
場所
態様
一
二
・二六
木
校長
二~五分間
校長室
校長を通じ、退職の意思を打診。
本人はその意思のない旨を表明。
二
三
・一二
木
八木、
古谷
一四・一五~
一六・三〇
市教委
職務命令による呼び出しにより出頭。
本人は退職の意思のない旨を言明。
三
三
・一三
金
八木、
藤原
一六・一五~
一六・四〇
市教委
右に同じ。
四
三
・一六
月
河田、
古谷
一三・〇〇~
一四・一五
市教委
右に同じ。
五
三
・一七
火
八木、
河田、
森、
古谷
一一・三〇~
一二・三〇
市教委
本人は退職の意思のない旨を言明。
六
三
・一八
水
古谷
一四・四五~
一五・二〇
市教委
右に同じ。
七
三
・一九
木
八木、
岡田
一〇・二五~
一二・〇〇
市教委
右に同じ。
八
三
・二三
月
(不在)
一四・〇〇~
市教委
約束どおり出頭するも不在。
九
三
・二四
火
古谷、
河田、
森
一四・〇〇~
一四・五〇
市教委
本人は退職の意思のない旨を言明。
一〇
三
・二六
木
校長
一六・〇〇~
一六・三〇
校長室
講師となるよう勧奨。本人はこれを断つた。
一一
四
・
二
木
八木、
河田、
古谷
一四・三〇~
一五・三〇
市教委
右に同じ。
一二
四
・
三
金
古谷、
大谷、
岡田
一四・二五~
一五・三〇
市教委
右に同じ。
一三
四
・
二三
木
八木
不明
下商教員室
電話で「本人の退職の意思の有無」を
代理人中野に尋ねてきた。
同人は、本人の意思を確認し、
翌二四日「退職しない。」旨回答した。
一四
五
・
八
金
八木
不明
市教委
「本人の退職の意思の有無」を代理人に尋ねた。
一五
五
・
一三
水
八木
不明
下商教員室
電話で「本人の退職の意思の有無の確認」を
代理人中野に依頼した。
同人は本人の意思を確認し、
翌一四日「退職しない。」旨回答した。
一六
五
・
二七
水
八木、
岡田
一四・〇〇~
一四・二〇
市教委
「心境について聞きたい」との職務命令で出頭したところ、
「心境は変らないか」と尋ねたので、
本人は「変らない」と答えた。
一七
五
・
二七
水
八木
二二・三〇~
二二・四〇
河野宅
「市議会に研究物を提出したい。
こんな優秀な先生がいらつしやることを報告したい。
とつさに言つてもいけないので前もつてお知らせする。」と
本人に電話した。
一八
五
・
二九
金
八木
二二・三〇~
二二・三五
河野宅
本人に電話して、研究物の提出を催促し、
また市教委勤務を暗示した
一九
六
・
一
月
八木
二一・三〇~
二一・三八
河野宅
河野宅に電話し、本人が不在であつたところ、
河野夫人に対し、研究物の提出を督促し、
更に伊勢木校長の病気に言及し、その原因が河野本人に
あるかのように言い、河野夫人を苦しめた。
同夫人は苦痛に耐え冷静に応答したが、かねて患つていた
心臓疾患が悪化し、また不眠に悩まされるようになつた。
二〇
六
・
九
火
八木、
大谷
不明
市教委
「人事について話があるので出頭せよ」との職務命令で
出頭したところ、「市教委勤務」を内示した
(本人は同月一一日に電話でこれを断わつた)。
二一
七
・
一四
火
八木
不明
下商教員室
八木は、中原校長代行を通して、「人事について
話があるので出頭せよ」との職務命令を発した。